プノンペンのキリングフィールド

キリングフィールド 発見された骨

プノンペンのキリングフィールド

カンボジアのキリングフィールドについてご存じの方も多いと思います。映画「キリングフィールド」や「地雷を踏んだらサヨウナラ」などでも描かれていますが、僕もここを訪れるまで詳しいことは知らなかった。

プノンペンにキリングフィールドの跡地があり、慰霊塔などが立っています。ここはキリングフィールドで行われたことを、二度と起こさないため、後世に伝えるために、存在する施設です。

1975年から4年間の間に100万人、国内の3分の1のカンボジア人が同胞のカンボジア人に集団虐殺された。なぜそんなことが起こったのか?

これはポル・ポトの率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党の武装勢力)が新政権を樹立したことに始まる。ポル・ポトは究極の共産主義国家を目指した。それは全ての人間が農耕に従事し、その生産物を全員で分け合う。子供は親から離し、すべて国家の子供とする。簡単に言うとそんな共産主義社会だったと思われる。そのためにポルポトは知的な民衆による反対運動が起こることを恐れた。そのために知的な人間(教師、医者、学者など)はすべて抹殺することにした。中にはただメガネを掛けているだけで殺された人もいる。その殺された場所はキリングフィールドと呼ばれ、国内に約300箇所ほどあったとされている。その跡地の一つがこのプノンペンのキリングフィールド。

キリングフィールド案内図

入り口にあるパネル。オーディオツアーと書いてあるように、訪問者はオーディオシステムで施設内を回ることになります。

キリングフィールド オーディアツアー

これがオーディオシステム。場所ごとに番号が書かれており、その同じ番号のオーディオを聞きます。様々な言語のオーディオシステムが用意されています。もちろん日本語もあります。

キリングフィールド ガイド

キリングフィールド ガイドマップ

こちらが日本語のガイドマップ。

キリングフィールドの再現図

どのようにしてここで人が殺されたのか。

突然、家に武装集団がやってきて人々を連れて行きます。ただ、図のようなケースもあれば、知的な人材には「我々に力を貸して欲しい」と騙して連れて行くこともありました。

キリングフィールドの再現図

身動きできないようにして殴ったり斧で殺害したそうです。拳銃は銃弾の値段が高いため身近な武器で殺したそうです。

キリングフィールド再現図

そして大量の死体がそのまま埋められたそうです。

しかし、実際の施設は何も残っていません。ただ、場所に番号の札が立っているだけです。

キリングフィールド トラックの停止所

例えば、ここは連れてこられた人たちが降ろされるトラックの停留所。番号のオーディオで解説を聞くことができます。

キリングフィールド 発見された骨

殺された人の骨が掘り出されたときの写真。

キリングフィールド 殺された人の骨が大量に埋められていた場所

この場所に大量の骨が埋まっていたそうです。この施設内でも2万人が殺されたため、ここだけでなく他の場所にも大量に埋められており、まだ掘り出されていない骨もあるそうです。

骨の採掘

発掘された骨の一部。

キリングフィールド慰霊塔

これが慰霊塔です。発見された人たちの慰霊をするために立てられました。

キリングフィールドの慰霊塔入口

慰霊塔の入口です。この慰霊塔にはここで発見された大量の骨が安置されています。

キリングフィールド 発見された骨

これはほんの一部です。このような骨が塔に大量の安置されています。

クメール・ルージュの制服

別の展示室にはクメール・ルージュの服など、様々な展示があります。

キリングフィールドの発見時の写真

発見時の写真など。

キリングツリー

これはキリングツリーと呼ばれる木です。

場合によっては赤ん坊がこの木に頭を打ち付けられて殺されました。殺された親の恨みを持って将来復讐してくることを恐れ、子供のうちに殺すような事もあったようです。そして殺す側は親から離されクメール・ルージュの教育された少年兵であったりしたそうです。

僕も詳しいことはわかりません。その当時のその時の何がそうさせたのか。同じ人間どおし、なぜそこまでの冷酷なことができたのか?しかし、実際にこの大虐殺は起こった。そのため、いまだにカンボジアでは若い人しか見ません。

この施設が作られたのは「ジェノサイド(集団虐殺)はここだけであったわけではなく、世界中であったのです。この施設を見ることで、人々はこのような事実を忘れてはならず、そして二度と同じようなことを起こしてはならない」という願いからです。

キリングフィールドであった少年

キリングフィールドに訪れてとても複雑な気持ちになっているときに、施設の外から笑顔で挨拶してきた男の子。

その笑顔で少し心が晴れました。

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