今はなき北京飯店スワニー@バンコク
谷 恒生という作家が書いた「バンコク楽宮ホテル」という小説がある。1980年代のバンコクを舞台に日本の個性的なバックパッカー達を描いた小説で、その小説を読んだ時、その舞台となった場所に行ってみたくなった。楽宮ホテルは楽宮旅社という名前で実在した安宿で、その界隈でいちばん有名なのはジュライロータリー前のジュライホテル。今は営業していない。
以下の写真は僕が2012年にバンコクに行ったときのものです。
バンコクのフワランポーン駅から臭い川を渡って少し行くとジュライロータリーというロータリーがあり、そこに年季の入った廃墟のような迫力のある建物がある。それがジュライホテル。まずはそこへ向かう。
これがフワランポーン駅。バンコクの上野駅と言われている。中がなんとなく上野駅に似ているばかりか、タイの東北地方の人たちがバンコクにやってくる時の窓口になっている。
フワランポーン駅から少し歩いたところにある川。ドブの臭がして臭い。この川を渡ってジュライロータリーに向かう。
これがジュライホテル。僕が行ったときはすでに営業はしておらず廃墟同然だった。ただ、佇まいはなんとも迫力がある。1980年代にバンコクに沈没したたくさんの貧乏な日本人たちがこのホテルで過ごしていたらしい。
このあたりは中華街ヤワラーで、ここはロータリーになっていますが、夜になると売春婦が出没する怪しいエリアらしいですが、夜は行かなかったのでよくわかりません。東北から来たパパイヤのサラダ売りも出没するらしい。
台北大旅社という安宿の看板はまだあった。営業もしてそうだった。
こういう安宿がこのあたりにはまだいくつかあるようだ。中国語でホテルは「酒店」だが、小さなホテルは「旅社」というらしい。日本語で言うと「宿屋」という感じ。
このあたりをブラブラ歩くと北京飯店スワニーというお店があった(2012年の秋に閉店)。この店の上が楽宮ホテルだったらしい。
このお店は、その当時の日本人バックパッカーたちのたまり場の食堂として有名なので、お店に入ってみた。1980年代当時は毎日のようにお客にたくさんの日本人たちがいて、お店も繁盛していたらしい。
北京飯店と書いてあるが、その当時の日本人たちのリクエストに応じて料理を作っていたそうで、日本料理もかなりメニューにはいっていた。とにかく値段は安かった。
この店の看板も、メニューも当時の日本人パックパッカーたちが書いたものだそうだ。それを律儀にずっと使っていた。
店内から外を見たところ。僕が行ったときは客は誰もいなかった。
日本人バックパッカーたちの情報交換ノートが何冊もあった。
本棚にも日本の本ばかりが置いてある。まったく日本人のためだけのレストランのようだった。当時、日本人バックパッカーたちがいかにたくさんここにいたか、その歴史の残滓のようだった。写真の下に方にはキッコーマンの醤油の瓶が見える。
そのとき食べた料理。これは親子丼だったかな。
近所のおじさんらしき人が飲み物を頼んで新聞を読んでいた。
店の中は猫たちものんびりしていた。
何十年も前からそこにあるような台所用品。
ここは30年間時間が止まっているような雰囲気だった。もうどこかへ行ってしまった日本人バックパッカーがいつ来ても大丈夫なように何もかも昔のままになっているようだった。
店主のスワニーさんの頼んで写真を撮らせてもらった。ここで30年くらいお店を守ってきたそうです。とても明るく気持ちの若そうな方でした。この時で62歳。でも、僕が訪れた半年後にこのお店は閉店したそうです。
帰る時、スワニーさんは店から外を眺めていました。